■ これは中国の故事です。
魏という国と斉(さい)という国の殿様が狩りをしているときに偶
然出会いました。
そのときに、魏の殿様が『私のところにはよそにはないような立
派な玉があります』、というのです。
その玉は径寸といって、直径が一寸、今でいうと3センチメートル
もある大きな玉であると。
『この玉は非常に光が強くて、兵庫十二乗を照らすことができま
す。
私の国にはこういう玉が10個ありまして、これが宝の最たるものです。
しかし、あなたの国は大変大きな国ですから、定めし立派な宝がたくさんありましょう』、と魏の殿様は斉の殿様に聞くのです。
■ すると斉の殿様は答えました。
『私のところにはそういう立派な玉はありません。
しかし、一隅を照らす者、例えば農業ならば農業、外来ならば外交と、それを担当させれば立派に責任を果たす非常に優れた家来が各所におります。
これが私のほうの宝です。』
■ それを聞いた魏の殿様は恥じ入ってしまったというわけです。
これが「一隅を照らす」の故事です。
それが後に、比叡山を興された伝教大師最澄が僧侶を育てる学校をつくるとき、その学校の規則として、これを利用したのです。
それが、「山家学生式(さんげがくしゅうしき)」。今でいえば学生手帳というか、学生の守るべき守則を記したものです。
その中にこういう言葉があります。
■ 『国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。
道心ある者を名づけて国宝と為す。故に古人曰く、径寸10枚、是れ国宝にあらず、一隅を照らす、これ国宝なりと』
■ 立派なお坊さんが国の宝となるのだというわけです。
そのような一隅を照らす品格を備えてきた者が地方に下れば、その行く先々で周囲を照らす。
その徳に土地の者がなびいて、だんだん集まってくる。集まってくるところは建物もあるから、そこにお寺ができる、と。
(「出典」 致知出版社『己を修め人を治める道』 伊與田覚著 P207
□ よく「会社を変える」とか、「地方を変える」とか、「国を変える」と大言壮語する人がいます。
しかし、簡単に企業も、地方も、そして国も変わるものではありません。
□ 企業をもっと成長発展させるには、一人でも多くの従業員が、この「一灯照隅」の精神に立ち、まず自らの足元から物事をはじめることを自主的に継続することです。
□ その精神が、本人の中に在る「無限の可能性」という扉を開き、目の前の事柄に一所懸命の想いを宿らせるのです。
その時人には、「立命」の人生が待っています。
■ 「一灯照隅」
それはこれからの日本人が、自らの外側に答を求めるのではなく、内側に求める大切なキーワードだと考えております。
三宅勇拝



